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東京地方裁判所 昭和61年(ヨ)2251号 決定 1987年1月27日

申請人 甲野太郎

右代理人弁護士 荒木和男

同 近藤良紹

同 鈴木宏

被申請人 財団法人読売日本交響楽団

右代表者理事 為郷恒淳

右代理人弁護士 和田良一

同 美勢晃一

同 寺前隆

主文

1  申請人の申請をいずれも却下する。

2  申請費用は申請人の負担とする。

理由

第一当事者の求めた裁判

申請人は、

1  申請人が被申請人に対しソロチェリストとしての労働契約上の地位を有することを仮に定める。

2  被申請人は、申請人に対し、金一三三万三三三三円及び昭和六一年七月二五日から本案判決言渡しに至るまで毎月二五日限り金六六万六六六六円を仮に支払え。

との裁判を求めた。

被申請人は、主文と同旨の裁判を求めた。

第二当裁判所が認定した事実

本件疎明資料、審尋の結果及び当事者間に争いのない事実を総合すれば、次の事実を一応認めることができ、これを覆すに足りる疎明資料はない。

一  当事者

被申請人は、交響管弦楽演奏により音楽文化の振興発展を図り芸術文化の向上に寄与することを目的とする財団法人であり、申請人は、チェロの演奏家であって、昭和五六年四月までは主に海外で活動しており、昭和五二年以降はカナダのオンタリオ州ウエステルンオンタリオ大学音楽学部等において教職にあった者である。

二  被申請人と楽団員との契約の内容

被申請人(以下「楽団」ともいう。)の楽団員の構成は、指揮者、コンサートマスター及びソリスト(これらを被申請人においては「特別契約者」と呼んでいる。)と一般の楽団員とから成っている。一般の楽団員は、オーディション、健康診断、面接等の手続を経て採用が決定され、試用期間経過後正式の楽団員となるが、雇用の際に契約書を作成して契約を行うもので、その労働条件は就業規則、賃金規定によってあらかじめ定められており、超過勤務手当、賞与、退職金等の支給を受けることになる。その契約の期間については、昭和四六年以降、各楽団員が入団した月の一日を始期とし次に来る三月三一日を終期とする旨の契約が取り交わされてきているが、その契約中には契約の自動更新条項があり、これに従って一年毎に更新がされ、新たに契約書を作成することはしないので、実際には期間の定めのない契約を行っているのと同様の結果となっている。これに対して、特別契約者については、一般にこれらに該当するような人材は才能が豊かで、音楽界における評価も高く、契約をしてもより有利な条件のところへ短期間のうちに移ることを欲するという傾向がみられること及び被申請人としても、楽団の音楽水準を恒常的に引き上げるためにその時々の要請に応じて特別契約者の占める職につきより優秀な演奏者を招へいすることが可能となるようにしておく必要があったこと等の理由から、被申請人としては、特別契約者との契約に当たっては、その都度具体的な契約内容について個別に交渉を行って決定をしているのであって、これまでの契約内容をみると給与が年俸制であって、一般の楽団員のような賞与、超過勤務手当、退職金がないこと、契約期間が一般に一、二年という有期限であること、拘束時間の定めが通常は一般の楽団員に比してかなり少ないことなどが相異点としてあげられる。

三  申請人が楽団に入団した経緯等

被申請人においては、昭和五五年ころチェロ部門の強化が強く要請される状況にあり、特にその指導的役割を果すべきソロチェリストの候補者を探していたところ、同年五月に当時カナダに在住していた申請人から、ソロチェリストとして就任したい旨の応募があって、被申請人としても調査検討の結果、申請人を招へいすることとした。

その契約に際しては、被申請人においてはチェロ部門に限らずソリストの採用は初めてであったのでこれまでの特別契約者の例に習うこととし、申請人からの要望を踏まえて交渉の上、昭和五六年五月ころ、申請人の職名を「第一ソロチェリスト」とし、契約期間を昭和五六年五月一日から昭和五八年四月三〇日までの二年間とし、年俸六〇〇万円、月間拘束時間一〇〇時間とすること等を内容とする書面による契約(以下これを「第一契約」という。)が締結された。右の契約期間については、被申請人においては三年として欲しい旨要望したが、申請人においてカナダでの教職を保持したままで休暇を利用して被申請人に入団することとした関係から二年として欲しい旨の要望があって二年と定められたものであり、また、ここで定められた契約期間の満了後の措置についてはこの契約においては何らの定めもされていなかった。

四  その後の契約の経緯及び内容

1  昭和五七年末ころ、申請人は、被申請人と当初の契約期間が満了する昭和五八年五月以降の契約締結について交渉を行った。その際、申請人は、カナダでの教職をやめて日本に永住することを考え、被申請人に対し、契約書中に自動更新条項を新たに入れることを要求した。しかし、被申請人側では、これまで特別契約者については前記のような理由から有期限の契約だけを行ってきたことからこれを拒否し、代わりに契約更新の意思のある場合には契約終了の六か月前までに相手方に通知することとする条項を設けることで合意し、昭和五八年一月三一日に、申請人の職名を「プリンシパルソロチェリスト」とし、契約期間を同年五月一日から昭和六〇年四月三〇日までの二年間とし、年間拘束時間七二〇時間(月平均六〇時間)、年俸六五二万円(この外に年六〇万円の住宅手当の支給がある。)とすること等を内容とする書面による契約(以下これを「第二契約」という。)が締結された。そして、申請人は、この契約を締結することにより、カナダでの教職の地位を放棄することとした。

2  ところで、被申請人においては、楽団の運営について楽団員で組織する読売日本交響楽団労働組合(以下「組合」という。)との間に紛争を生じたことから、楽団の運営について一般の楽団員のコンセンサスを得るのが楽団の円滑な運営上必要であるとの見地から、昭和四九年一一月以降特別契約者と契約を締結するに際し、事前に組合の承諾を得ることが慣行となっており、組合においては被申請人からの諮問に対して承諾を与えるかどうかについて投票を行っていた。申請人との間の第一、第二契約の締結に際してもこのような手続を経ていたことから、被申請人は、昭和五九年一〇月、組合に対し、申請人との間で昭和六〇年五月一日以降の契約を締結することについての賛否を問うたところ、昭和五九年一〇月三一日になって、組合から、申請人との新契約締結については賛成する組合員の数が過半数に満たなかったとの回答を得た。このように特別契約者との契約締結について組合の承諾を得られないというのはこれが初めての事態であった。被申請人は、申請人に対して、同年一一月一日、第二契約終了の六か月前までに申請人から契約更新の意思が伝えられなかったこと及び申請人との新契約の締結につき一般の楽団員のコンセンサスが得られなかったことを理由に、第二契約終了後は新契約を締結しない旨通告した。これに対し、申請人は、新契約締結を希望したので、その後、申請人、被申請人及び組合の間で交渉が行われた。被申請人は、組合から、申請人との新契約の期間を昭和六一年四月三〇日までの一年間とするなら組合としても了承する旨の回答を得たので、これを前提として、昭和六〇年二月一二日、申請人に対し、同年中に申請人の外にソロチェリスト一名を招へいする予定であり、申請人とこの者とを同格に扱うため、申請人の職名を第二契約の「プリンシパルソロチェリスト」から単なる「ソロチェリスト」とする、契約期間を同年五月一日から昭和六一年四月三〇日までの一年間とする、更新意思の通知条項を削除する、年俸を八〇〇万円(第二契約における住宅手当は支給されない。)、年間拘束時間を七八〇時間(月平均六五時間)とする旨の新契約の案を作成し提示した。そして、被申請人が申請人に対し、同年四月五日、新契約の期間が一年限りであり、被申請人としては前回提示の条件につき譲歩の余地がない旨を明確に説明したところ、申請人は、その場で契約書に署名することは拒否し、弁護士と相談のうえで返事をする旨回答したが、同月九日被申請人に対して契約書に署名するとの連絡をし、同月一五日、被申請人の提示した内容の契約書に署名をした(以下これを「第三契約」という。)

3  昭和六一年五月一日以降は、申請人と被申請人との間で新たな契約は締結されておらず、被申請人は、申請人との間の契約が同年四月三〇日の経過によって終了したとしている。

第三当裁判所の判断

一  以上の事実関係をもとに昭和六一年五月一日以降の申請人の地位について検討する。まず、第一ないし第三契約が期間を定めたものであるか否かについて考えると、申請人と被申請人とは、申請人が一般の楽団員の指導とチェロ部門のソリストとしての活動を行うことを主たる内容とするソロチェリスト契約を締結し、第一ないし第三契約において各別に契約内容についての交渉を重ねた上でその契約内容を決定していること、これらの契約においては、被申請人にとってソリストの地位を有する者を置くことは申請人が最初であったがその地位にかんがみて楽団の指揮者、コンサートマスターといった特別契約者と同様の範ちゅうの者として取り扱うこととし、一般に特別契約者については前記のような理由から契約期間の定めをしているところから申請人との契約についても期間の定めをすることとしたこと、その結果締結された第一ないし第三契約においては契約期間が満了した場合にその契約が当然に自動的に更新されるものとはされておらず、わずかに第二契約において更新の意思があるときはこれを契約終了の六か月前までに通知する義務が定められているにとどまっているのであって、この規定も第三契約においては前記のような経緯で削除されていることなどの事情を考慮すると、申請人と被申請人との間の契約はその都度契約の存続期間を定めて締結されたものであると認めるのが相当である。

これに対して申請人は、右各契約における契約期間の定めは報酬改定の期間の定めにすぎないものであって、申請人と被申請人との間のソロチェリストとしての契約自体は、申請人がその継続を希望する間は申請人の技術低下等の事由がない限り被申請人において期間満了による契約の終了を主張することができないいわゆる期間の定めのない契約である旨主張する。しかし、第一ないし第三契約中において契約期間の定めが単なる報酬改定期間にとどまるものとすることをうかがわせる文言は全く存しないし、また、契約交渉の経緯からみても契約期間としての定めにもかかわらずそれを申請人の主張するような報酬改定期間の趣旨にとどめる旨の合意があったことを認めるに足りる疎明は全くない。かえって、仮に申請人の主張するとおりの契約内容であったとすれば、それは、申請人においては期間満了時に、他の有利な条件の職場に移るか否かを検討することができ、更に被申請人にとどまることを選択した場合には報酬改定の機会となるのに、被申請人においては期間満了時においても申請人の職に他の演奏者を招へいするか否かを独自に検討することができないという、申請人に一方的に有利な結果となることや、第一ないし第三契約とも、各契約の締結に際し、申請人と被申請人との間で、申請人の職名、契約期間、年俸、拘束時間、契約期間満了前の更新意思の通知義務等の主要な項目につき交渉がされたうえで、それぞれ異なった内容の契約書が作成され、契約の締結に至っていることなどを考えると、申請人と被申請人との間の各契約における契約期間の定めが申請人の主張するような報酬改定期間の定めであって、ソロチェリスト契約自体は、期間の定めのない契約であるとは到底解することができないものというべきである。

二  次に、申請人は、申請人の楽団における地位は一般の楽団員と格別変わるものではなく、労働者として労働基準法の適用を受けるから、同法一四条、一三条により、一年を超える部分の期間の定めは無効となり一年後は期間の定めのない契約となる旨主張する。なるほど、申請人の楽団における地位は、ソロチェリストとしてのものであって一般の楽団員の指導にあたることなど指導的立場にあるとはいえ、拘束時間の定めがあり、被申請人からの出演要請に対して拒否することができない等の点において従属的地位にあるから、労働基準法上の労働者としての地位にあって同法の適用を受けるものというべきである。

そして、労働契約について、一年を超える期間の定めをすることは労働基準法一四条に違反し、その場合には同法一三条により一年を超える部分は無効となり、期間が一年に短縮されるのであり、右一年の期間満了後も労働関係が継続された場合には、民法六二九条一項により期間の定めのない契約として継続されていくものと解するのが相当である。

本件においては、当初期間を二年とする第一契約が締結され、その期間満了の際に再び期間を二年とする第二契約が締結され、更にその期間満了の際に期間を一年とする第三契約が締結されたという事実関係であり、申請人は、右事実関係に前記法理を適用すると、第一契約の期間は一年に短縮され、右期間満了後も労働関係が継続されたことにより第一契約は期間の定めのないものとなり、その後はその状態が継続し、単に報酬額等の定めが改定されたにすぎないと主張しているのである。たしかに期間一年を超える労働契約が締結され、これがその後も漫然と継続されているというような場合には、申請人の主張するように解する余地があるのであるが、本件においては、その後に第二契約及び第三契約が締結されていること、先に認定したように、申請人と被申請人との間においては第一契約の当初からその契約が永続すべきものとして締結されたとの事情はないものであったこと、右の三つの契約においては単に期間についての定めのほかに申請人の職名、年俸、拘束時間、更新意思の通知条項等労働契約の重要な部分についての交渉がされた上で書面によって各契約が締結されているのであって単一の労働契約が継続しているものとは評価し難いこと等を考え合せると、申請人の主張するように、第一契約が期間の定めのないものとなり、その状態が継続しているにすぎないものと解することは相当でなく、第二契約を締結した際に、従前の第一契約(期間については前記のように期間の定めのないものとなったもの)は解消され、第一契約とは異なる内容の契約が新たに締結され、また、第三契約を締結した際にもこれと同様に従前の第二契約(期間については期間の定めのないものとなったもの)は解消され、第二契約とは異なる内容の契約が新たに締結されたものと解するのが相当である。そうであるとすれば、第三契約で定められた一年の期間の満了により、申請人と被申請人との間の労働契約は終了したものということになる。

三  申請人は、更に、第三契約の期間満了後、被申請人が新契約を締結しないのは信義則に反する旨主張する。しかし、申請人と被申請人との間の労働契約は、前記のとおりその都度各別の契約を締結したものであって、単なる契約の更新とみることはできないのであるから、仮にこれが信義則に反するからといって申請人と被申請人との間において法律上新契約が締結されたことになるわけではないから、申請人の主張はそれ自体失当である。また、この点をおくとしても、被申請人において、組合の承諾が得られなかったことから当初第三契約を締結しないとしたものを、その後の交渉によりあと一年限りとすることで組合の承諾を得て第三契約を締結することとしたこと及び申請人においても被申請人から告知されてその旨の認識をしたうえで第三契約を締結することとしたこと等の経緯に照らすと、被申請人が第三契約の期間満了後新契約を締結しないことが信義に反するものということはできないというべきである(なお、申請人は、特別契約者と楽団との契約締結について楽団員の過半数をわずかに超えるだけの組合の意見をもって契約を締結するかどうかを決定するのは不合理であるとも主張しているが、そのような制度の在り方の当否は別として、現にそのような制度が楽団と組合との紛争を予防し、楽団の円滑な運営に資する慣行として存在しており、被申請人においてこれに反する契約締結が行い難いといった事情が存する以上、これに従って申請人との新契約を締結しないことが信義に反するとまではいえないというべきである。)。

第四結論

そうすると、申請人と被申請人との間の契約は、第三契約の期間が満了した昭和六一年四月三〇日に終了したものということになるから、結局申請人の申請は被保全権利の疎明がなく、また、保証を立てさせてこれに代えることも相当ではないから、これを却下することとし、申請費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 今井功 裁判官 田中豊 星野隆宏)

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